全国合宿「親シンポ」での発言・その3

【第2問】 親にしかできないこと、親だからできること
 私は、まず家庭が子どもにとって安心できる居場所になることが出発点になるのだろうと思っています。もちろん、フリースクールやフリースペースのような子どもの居場所が大きな役割を果たしてきたことは間違いないと思います。それから、例えば市町村の教育委員会でやっている適応指導教室、これも玉石混淆なんですけれれども、あまり学校復帰を強く押し出していないところも意外と活用できるのではないかということで、私どもはそういった機関とも協力するように心がけています。年に一回ですが函館市の教育委員会と意見交換の場を持ったり、ある地域では適応指導教室の先生が会員としてに参加しているということもございます。
 行政との関係についてはお互いの役割とか立場の違いというものを認めて、尊重しながら、子どもの利益に繋がることについては協力し合うという姿勢で取り組んできました。
 ただし、一番大切なのは、お子さんの気持ちだと思うんです。いろんな機関や施設を利用するにしても、まずはお子さんにとって家庭が安心できる居場所になることが、私は出発になるだろうと思っております。そして、家庭が安心できる居場所になるためには、親御さんがわが子の不登校を受けとめて、学校に行かないという生き方があっていいんだと、腹を括るということも必要だろうというふうに思っております。
 ただ、誤解のないように申し上げますと、私は学校を否定するという意味で言っているわけではないのです。いろんな事情が重なって、この子はともかく今、その学校が安心できる居場所になっていないんだということを、無条件に認めようということなんです。特に学校関係者の皆さんにお願いしているのは、子どもが元気になることが一番であって、学校に戻るということは一つの結果であって、目的じゃないんだということで関わってほしいということです。
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全国合宿「親シンポ」での発言・その2

【第1問】わが家の不登校体験・続き 二女のときは姉と全く逆の対応をしました。二女は今26歳になります。小学4年の1学期が始まってまもなく不登校になるんですけれども、私は一切学校に行くように無理強いはしませんでした。
 いわゆる義務教育9年間の後半6年間はほとんど学校に行かないという生活をして大きくなります。途中いろいろ紆余曲折はありましたけれども、なんとかだいたい元気で暮らせたかなというふうに思いっています。
 その後18歳のときに、突然公務員試験の予備校に通いだし、無事採用試験に合格しまして、今北海道庁の職員として旭川で働いております。
 この4月にこの二女にも男の子を生んだんです。したがいまして、孫4人のじいさんでございまして、本当に「孫という名の宝物~♪」でして、無責任にかわいいもんでベトベトになんです。長女からは「じいちゃんは甘い、私のときとは随分違う」と教育的指導を受けておりまして、たしかに車に無理の押し込んでやったような親が、まことに態度が変わったものですから、あきれているようです。
 考えてみますと、長女が4年目の中学生のとき、もし私が態度を変えないで学校に行くことを強制しつづけていたら、あるいは二女が不登校になったときに「お姉ちゃんが不登校なんだから、せめてお前くらいまともにやってよ」みたいな形でプレッシャーをかけていたならば、はたしてそういう宝物に巡り会えたんだろうかと今しみじみ感じております

全国合宿「親シンポ」での発言・その1

 8月21日~22日、福島県磐梯熱海温泉で開催された「第21回不登校を考える夏の全国合宿」は、大人400名、子ども100名が参加し、とても密度の濃い有意義なものでした。その「親シンポジウム」でお話させていただいたことを、何回かに分けて報告します

【第1問】 わが家の不登校体験 
 私は函館で「登校拒否と教育を考える親の会・アカシヤ会」や「道南ひきこもり家族交流会・あさがお」の事務局をしております。
 長女は今36歳ですが、中学2年生で不登校になって、朝学校の行く段になるとトイレに駆け込んだりして、あそこ痛ここ痛いと訴えるわけです。学校を休ませますと大変不思議なことに、昼頃には症状も消えて普通に過ごしますので、私ども夫婦はご多分にもれず、学校の行かそうとして、もう必死になってあの手この手を使います。先生にしょっちゅう家庭訪問してもらう、毎朝友だちに迎えに来てもらう、最後は車に押し込んで学校に連れていくなどとうことまでやるんですが、そうやって頑張れば頑張るほど長女の具合は悪くなっていって、3年生になると、ほとんど行くことができなくなります。これではどこの高校も入れないということで心配になり、もう1年残って頑張ろう、そしてその次の受験に備えようという、今から考えればまことに馬鹿げた判断をしてしまいます。
 これで長女を決定的に追いつめてしまい、もう学校へ行くどころの話ではありませんで、家から出られなくなる、部屋の中は荒れ放題で、昼夜逆転して生活のリズムはめちゃめちゃになってしまいます。当時は「ひきこもり」という言葉はまだありませんでしたが、まさにひきこもり状態になります。
 実はそういうわが家の体験について、5年前に『わが子が不登校で教えてくれたこと』という本を書きまして、昨年11月にこの改訂版を出しました。この本を書くにときに、原稿を何度も娘たち二人と女房に見てもらったんですが、そのとき長女は「何度も自殺することを考えた」と打ち明けてくれます。私はけっこう長女のことを分かったつもりになっていたのですが、彼女の一番辛かった底の底の状態を知ったのは、言ってみればこの本の時ですから、そんなに昔の話じゃないという、誠にお恥ずかしい話なんです。
 ともかく、ことここに及んで、妻がこれは変だと、自分たちのやり方が間違っていたんじゃないかということにと気がつき始めて、奥地さんのところに話を聞きに行ったり、いろいろ勉強して、無理に学校に戻そうとしたことで長女をおかしくしちゃったことを知って方針を変えます。でも、私はなかなか気持ちの切り替えができないんです。これは、言い訳のようでたいへん恐縮なんですけれども、だいたい一般的には父親は「そんなことで世の中は通用しない、もっと強くならなけらばだめだ」という気持ちから抜けられないのです。妻からもずいぶん説教されました。それから長女のいよいよ辛そうな状態を目の前にして、いろいろ考えてみたんです。
 すると、長女を必死になって学校に行かそうとしたのは、私はもちろん長女のためと思ってやっていたんですが、「このまま高校に行けなかった困る」という親の側の不安だということにだんだん気がついていきます。そこから、待てとよと。「本当に高校に行かなかったら、この子の人生はなんだろうか」というふうに気持ちにが変わっていったんです。そのときの解放感というんでしょうか、孫悟空の頭を縛っている輪っかがはずれるような感じ、その解放感というのは今でも本当にはっきり覚えておりまして、気持ちが本当にと楽になっていったんです。
 大変不思議なもので、自分の気持ちが楽になると、自然に子どもとやさしく接することができるようになっていって、そこからやっと長女とのコミニュケーションが回復していきます。だんだん長女も元気を取り戻して、結局は北海道立の通信制高校に進みまして、そのうちにアルバイト先で知り合った青年とさっさと結婚しちゃいました。今は札幌で、中学3年生の女の子と、小5と小2のわんぱく坊主の3人の子育てで、肝っ玉母さんをやっております。

インターシップ事業での講座

 バタバタしていて書き込みができませんでしたm(_ _)m
 9月16日、函館市地域交流まちづくりセンターが主催する「インターシップ事業・就労希望コース」の1講座を担当し、「不登校やひきこもり相談支援のNPO活動」というテーマでお話させていただきました。この企画は、求職中の方にNPO法人などの社会的企業に関心を持っていただき、そういった分野での就労に必要な基礎的な知識やパソコン技術を学んでもらう6週間の就労支援事業で、様々な年齢層の14名が応募しました。
 地域の様々な市民活動を紹介する講座のひとつに不登校・ひきこもり支援活動を取り上げていただき、たいへんありがたいことです。受講生のみなさんのキャリアや関心事がそれぞれ異なるでしょうから、こういったテーマに興味を持っていただけるか、さらにこういったと活動はまだ大きな「就労先」にはなっていないこともあり、講座として成り立つか不安もありましたが、皆さん熱心に聞いてくださいました。
 私はこの間、自分の体験をベースに「ソーシャルワークによる不登校・ひきこもりの理解と支援」について講演させていただいておりますが、NPO活動を切り口にした講演は初めてでした。いつもは、不登校やひきこもりについて具体的にどのように理解し関わったらよいかという「ケースワーク」の話が中心になりますが、今回はNPO活動との関連からセルフヘルプグループに関わる「グループワーク」や、市民活動に関わる「コミュニティワーク」を中心にお話させていただきましたので、私にとってもたいへん勉強になりました。

 




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