あさがお例会より③:「治す」のではなく「育つ」ことを支える

 確かに親は、子どもに声をかけるとすぐに返事を期待しがちですが、そのこと自体が相手に大きな負担になる場合があるのだと思います。
 これは同居している場合も同じで、親を拒否したり、嫌っているのではなく、まだそれに応えられる心理状態、精神状態になっていないと理解し、「相手からの返事を求めない日常の何気ない声かけ」を続けることが大切だと思います。
 何気ない挨拶なども良いでしょうが、これも義務的にやると不自然になり、ある親御さんは、お子さんから「毎日毎日、丁寧にオヤスミと言わなくても分かっている」と言われたと苦笑していました(^_^;) 子どもとは日々顔を会わせるだけに距離の取り方は難しいのですが、過剰に意識しない自然な関わりが大切だと思います。
 三上先生はまた、「『治す』のではなく『育つ』ことを支える姿勢で子どもと関わってほしい」とお話されましたが、心に刻みたいと思います。人間は死ぬまで成長する生き物ですので。

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あさがお例会より②:親との接触を拒否、どうしたらよいか?

  本人が親元から離れて暮らし、ひきこもっているようで心配だけど親との接触を「拒否」するので、どうしたらよいか困っているというお話が毎回出されます。中には、うつ病で休職中だったり、精神疾患ではないかと心配になるような事例も多く、親御さんの不安や戸惑いはもっともだと思います。
 これについて体験者の方から、「それは親を嫌って『拒否』しているのではなく、本人は『親に迷惑をかけ申し訳ない』と十分思っていて、そんな自分が情けなくて親の働きかけに応じる気持ちになれないという心理状態ではないだろうか」とお話していましたが、ナルホドと思いました。
 また、当会顧問で精神科医の三上廣昭先生(函館渡辺病院理事長)もお忙しいなか参加され、「うつ病が重くなっていると、電話に出たりメールに返信したり、玄関チャイムでドアを開けるといった動きができないほどに疲労困憊しているので、答えが返ってこないということで子どもを責めたり、自分のせいだろうかと親も過度に自分を責めない方が良い。答えを期待したり、親の心配を伝えるのではなく、『何かあったらいつでも力になるから、そのときは連絡してほしい』といった親の姿勢をメールや手紙で伝え続けることが大切」というアドバイスをいただきました。

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道南ひききこもり家族交流会「あさがお」例会の様子(1月・2月)

 いわき講演会の連載を小休止して、今年の当地の会の様子を連載します。まずは道南ひきこもり家族交流会「あさがお」ですが、2015年の例会スタートは1月11日でした。21名(当事者・家族16名、サポーター5名)が参加、特に初参加の方が9名もおいでになり、会の必要性を新年早々実感した次第です。ご家族の状況も多岐にわたりましたので、途中から3グループに分かれて話し合いました。
 「お子さんが学齢期」の親御さん3名についてはスクールカウンセラーの大杉先生と個別相談に近い形で話し合いいただき、それ以外の方は「発達障害・精神疾患」でお悩みのグループと、「就労」を巡ってお悩みのグループに分かれ、密度の濃い話し合いが行われました。
 2月8日の例会は23名(当事者・家族17名、サポーター6名)が参加、「膠着状態が長くなっている」ご家族と,「最近ひきこもり始めた方や少し動きがある」ご家族の2グループのほか、発達障害に詳しい運営委員の方による個別相談も実施しました。
 また、終了後の新年会にも14名が参加して大いに盛り上がり、気がついたら3時間も経っていました( ^)o(^ )。特に今年は男性が9名と大勢で、「おやじ会」をやったらどうかという話も出ました。要するに飲み会ですが(^_^;)

大震災とひきこもり(朝日新聞の記事紹介)

 講演連載に横入りしますが、朝日新聞(2015年3月11日)に次のような記事が掲載されました。ここ登場する佐々木先生のお話をある集いでうかがう機会があり、心を揺さぶられましたのでご紹介します。奥様と次男さまのご冥福を心からお祈り申し上げます。

前へ 東日本大震災4年「仁也の苦しみ、やっと気付いた」佐々木義仁さん  ◇岩手・陸前高田
公民館の一室に、女性の涙声が響く。
 「14歳の娘が引きこもって1年半です。これからも続くのかと思うと、正直、耐えられるかなって」 佐々木善仁(よしひと)さん(64)がうなずきながら、じっと女性を見つめる。
 2月下旬、岩手県大船渡市で、不登校と引きこもりの子どもを持つ「親の会」が開かれていた。月に1度、悩みを打ち明けあう。
 会の事務局長を務める佐々木さんは、小学校の元校長。4年前までは、同じ悩みを持つ親の1人だった。
 教頭を9年、校長を7年務めた。部下には「家庭を大事にしなさい」と言ってきたが、自分は朝6時半に家を出て、帰宅は夜9時ごろ。週末も行事で、息子たちと遊んだ記憶はほとんどない。
 次男仁也(じんや)さんの引きこもりは中学2年で始まった。陸前高田市から釜石市への転校がきっかけだった。妻のみき子さんから相談されたが、真剣に耳を傾けることはなかった。次男が部屋で暴れ、壁に穴が開いていることも知らなかった。
 そんな自分に反発した長男の陽一さん(34)には「仕事で精いっぱいだ。食わせてもらってるのに生意気言うな」と怒鳴った。
 単位制高校に通った3年間は好転の兆しが見えたが、卒業後に次男はまた引きこもるようになった。陸前高田市に戻った8年前、妻はこの地区で「親の会」を立ち上げた。
 会への送り迎えの車中で、妻はいつも言った。「退職したら手伝ってね」
 震災の日。佐々木さんは陸前高田市立広田小の校長で、退職目前だった。妻と次男が行方不明になったが、避難所になった学校で児童の安否確認に追われた。1週間後に全員の無事がわかるまで、2人を捜せなかった。
 その1週間後。長男から連絡を受け、遺体安置所で仁也さんと対面した。髪が伸びた、色白の28歳。3週間後、57歳だったみき子さんの遺体も見つかった。
 次男は2階の部屋から一度出たが、避難を促す妻や長男に「逃げない」と言って部屋へ戻った。人に会うのが怖かったのだろう。引きこもりでなければ、死なずにすんだかもしれない。
 避難が遅れた妻も波にのまれ、長男だけが一命を取り留めた。
 震災から1カ月後。「親の会」を受け継ぐことにした。次男に向き合ってこなかったことへの後悔。妻が立ち上げた会を続けることが、せめてもの罪滅ぼしになればと思った。
 だが、参加してみると、悩みを打ち明ける親たちにどう声をかければいいのかわからなかった。
 長男と住む市内の借家にある次男の遺影は、高校の卒業アルバムのものだ。18歳のままの顔を見ながら、次男と妻のことを思った。
 妻は専門書で引きこもりを勉強し、県外の研修会に足を運んだ。次男は規則正しく食事し、毎朝、トイレと風呂の掃除をしていた。自分も震災後、妻のように勉強を始めた。次男のようにトイレを磨いているとき、思った。社会に出られない自分に苦しみ焦る中、できる精いっぱいの「仕事」だったのではないか。
 引きこもる子の多くは怠け者ではなく、繊細で人の気持ちに過敏だから外に出られなくなる。新たに得た知識も次男と重なった。
 次男のことを今は、生きてさえいてくれたらと思う。でも親の会では、「いっそ子どもと死にたい」と訴える母親たちの声を聞く。
 親たちの悩みを妻や息子の気持ちと重ね合わせるうち、自分の思う言葉が少しずつ出るようになった。
 「子どもたちも苦しんでる。今は心の充電期間だと思ってあげればいいんだから」
 涙を流す母親に、そう語りかけた。
                                   (杉村和将)

いわき市の講演会㉕:不登校をめぐる親の悩みについて

 今回おじゃまするにあたりまして、どんな内容にしたらよいか「たけのこの会」の皆さまに希望をうかがいましたところ、まず「親の気持ち」をどうしたらよいか、例えば「先が見えない」「いつまで待てばいいのか」「ついつい先を考え過ぎてしまう」「受験時期など動きがあると親も本人も焦ってしまう」というようなことにどう対処したらよいか、というご質問をいただきました。
 レジメでは「不登校の親の気持ち」について19項目載せていますが、今回いただきましたご質問に重なるものばかりで、全くもっとも内容ばかりです。
 「カナリアたちの警鐘」では、これについてQ&Aの形でご説明しているのですが、これをひとつひとつ説明しますと、すぐに時間がなくなりますので、この後の質疑と意見交換の中で、是非皆さんから生の声を出していただき、一緒に考えたいと思います。
 また、学校の研修会などにお邪魔しますと、必ず先生方から出される質問やご意見があり、それを10項目のQ&Aでまとめています。今日は、先生方も参加くださっているとうかがっていますので、是非学校現場の悩みなども含めてご提言いただき、一緒に考えたいと思います。

いわき市の講演会㉔:焦って原因探しは逆効果

 しかし、ともかく現実は、いろんな要因やきっかけが重なり合って不登校になりますので、原因は特定できない場合が多いのですが、相手が自分にとって良いことをしてくれる場合や、自分にとって良いことが起きている場合に、そんなにしつこく「どうして」と尋ねるでしょうか?
 お子さんがテストで100点取ったときに、「どうして」「どうして」としつこく聞いたり、詮索しますでしょうか? 
 つまり、焦って原因探しに走るのは、今起きていることを、自分にとって「良くないこと」「困ったこと」と考えているからなので、直接口に出して不登校を非難しなくても、原因探しに走れば、そのこと自体が子どもに対し「不登校は悪いこと」「親や先生を困らせていること」だという「非難のメッセージ」を送ることになってしまいます。
 今度はそのことで、子どもはさらに苦しみ、お互いの関係が悪くなっていくという悪循環にはまっていきますので、繰り返しになりますが、原因を考えることはとても大切ですが、「焦って原因探しに走る」ことはマイナスだと申し上げたいわけです。
 不登校であろうがひきこもりであろうが、受容という関わり方をせずにお子さんと信頼関係を築くことは出来ませんので、学校に行かないことを責めたり叱ったり、まして無理やり学校に行かせようとしたり、学校に引っ張り出すようなことは、絶対にしないでいただきたいのです。
 そういう関わりをして一時的に学校に戻ることができたとしても、後々大きな問題となってしっぺ返しを受ける例があまりに多くて、これについては後ほど「ひきこもり」のところで説明します。

いわき市の講演会㉒:「原因探し」に走りがちになるが

 そのためには、原則5の「クライエントを自分の価値観に基づいて非難しない」という「非審判的態度」ということが重要になるのですが、現実には、往々にしてその逆のことをやってしまいがちで、その代表例でよくやるのがが、親も先生方もよく「原因探し」に走ることです。
 もちろん、冷静にじっくり原因を考えることは大切で、これまでの経験から、不登校になるきっかけとして、大きく次の4つがあるように思います。
 第1はわが家の子どもたちもそうでしたが、「親の会」でもやはり「いじめ」がきっかけで不登校になるというお話しがとても多いので、親も学校も、不登校を「いじめがあるかもしれない」というサインとして受けとめ、深刻化する前に対応できるチャンスを子どもが与えてくれているという気持で受けとめていただきたいと思います。
 第2は、学校で体罰を受けて、怖くなって学校に行けなくなるというケースが結構多いのですが、これは学校だけの問題ではなく、家庭でも真剣に考えなければならないことで、残念ながら日本では「しつけには体罰が必要」と考えている親御さんもまだ多いので、学校の体罰も見過ごしてしまいがちです。
 いずれにしましても「いじめ」や体罰は重大な権侵害であり時には犯罪にもなりますので、こういったいじめや体罰が背後にある場合は、当然にも子どもの安全を確保し、人権を守るという取り組みが必要になって参ります。
 第3が、勉強が分からなくなって学校に行くのが嫌になることがあります。
 第4は、友だち関係がうまくいかずで辛くなって行けなくなることもよくあります。
 これらについは、それが一時的な場合もありますが、お子さんに学習障害や発達障害といった何らかのハンディがある場合もありますし、その場合はいくらお子さんを責めたり、強い指導をしても何も解決しませんし、かえって状態は悪化しますので、そのお子さんに合った個別の学習支援や生活支援が必要になってきます。

いわき市の講演会㉒:受容を基本に据えることが必要

時間の関係で全部を説明できませんので、一番基本になります原則4の「クライエントを丸ごと受けとめる」という「受容」について少しふれますが、現実にはなかなか難しくて、両者の距離が近すぎたり、支配的な力関係がある場合は特に難しいので、親と子や、先生と児童生徒の間などでは特に難しいと思います。
 不登校については、親御さんや先生から必ず出されるのが「不登校の理由を聞いても、言ってくれないから困る」という相談ですが、それは、「話したくても話せない」、本人も「うまく説明できない」のが現実だと思います。
 わが家に場合、長女と次女の中学校ではいじめがかなり大きなきっかけでしたが、次女の小学校での不登校はよく分らないのです。
 これもやはり本を書くときですから、次女が20歳くらいのころですが、彼女は「自分はいつも周りから明るく元気でいいねと言われていたので、明るく元気でいなくちゃいけないんだと思って、頑張りすぎたんじゃないだろうか」と話していましたので、当時は自分でもよく説明がつかなかったのです。
 そもそも、「私はかくかくしかじかの理由で学校に行くのがいやになったので不登校します」と説明できるくらいなら、不登校になるでしょうか?
 不登校の子どもが、最初に腹痛や頭痛などの身体症状を訴えるのは、ことばでは説明できないので「これ以上無理して学校に行ったら自分がダメになる」と、身体が信号を出して自分を守っている状態です。
 ですから、子どもの辛い状態を批判や注釈を加えないで、まして叱りつけて無理に連れて行くなどということは絶対に止めて、ともかく「学校に行きたくない、行けないという辛い状態なんだ」と、まずそのまま丸ごと受けとめることから出発する必要があるわけです。

フリースクール支援・不登校政策をめぐる動きについての資料ご紹介

 講演会連載の横入りですみません。
 先日、思春期保健についての勉強会で、下記のテーマでお話させていただく機会がありました。ご希望の方には説明資料(A4版6枚、A3版2枚)をお送りします。電子データでない部分をもあり、郵送でのお届けにになりますので、お手数でも送付先をお知らせください。
【フリースクール支援・不登校政策をめぐる新たな動向と最近の地域活動の状況)】
1 私の基本的なスタンス~「当事者」と「ソーシャルワーカー」
2 不登校をめぐる状況
3 最近の国の動向
(1)文科省、フリースクール支援の検討を開始
 ①「全国フリースクールフォーラム」の開催
 ②「フリースクール検討会議」の発足
(2)文科省の不登校政策の動き
 ①「全国不登校フォーラム」の開催~参加報告
 ②「不登校に関する調査研究協力者会議」の発足
(3)安倍首相施政方針演説について
(4)マスコミの動向
(5)バウチャー制度について
4 最近の地域活動の状況
(1)「親の会」等当事者グループの活動
(2)函館圏フリースクールの状況
(3)若者サポートステーションの新たな動き

いわき市の講演会㉑:長女と次女への対応の違いが意味するもの

  ひとことで言えば、私は、長女のときにはことごとくこの原則に反した対応をして、その結果、長女をボロボロになるまで追いつめたということですが、当時私はまだ社会福祉の勉強をしていませんでしたので、この原則を知っていたわけではありません。
 私は平成10年に、児童自立支援施設の「大沼学園」に転勤になりました。福島県では、須賀川市にあります福島学園が同様の施設ですが、久しぶりに福祉現場に戻りましたので、今度はきちんと社会福祉の勉強もしようということで、社会福祉士の国家試験を受ける資格を得るために、通信教育で勉強を始めました。
 そのときに、レポートを書く必要からこの本を読んだわけですが、目からウロコの連続で、「ナルホド、そういうことだったのか」と、長女に対する関わり方の間違いに気がつき、さらに振り返ってみますと、私が長女に対する態度を変えて以降は、この原則にかなった対応をしていたことが分かりました。
 その結果長女は元気を取り戻して行きましたし、次女のときは、始めからおおむねこの原則にかなった対応をしていたようですので、次女もたいへんなことはたくさんありましたが、だいたいは元気に成長することができたのではないかと思います。
 しかもこれは、私が長年関わってきました不登校の親の会でも、ひきこもりの家族交流会でも、さらには全国のいろんな関係者からお聴きした話でも共通して言えることで、この原則にかなった対応ができないと親子関係はうまく行かないけれど、この原則に沿った関わりをし始めると事態はよくなっていきます。

いわき市講演会⑳:ケースワークの原則(バイステック7原則)を生かす

 考えてみますと、長女が4年目の中学生のとき親が態度を変えないで高校進学にこだわって学校に行かせ続けようとしたなら、そして次女が不登校になったとき「姉が不登校だったからせめてお前は普通にやってほしい」みたいにプレッシャーをかけていたら、宝物に巡り会えなかったかもしれないとつくづく思っています。
 しかし、これで話が終わりますと「野村さんのところは運が良かったね」ということで話が終わってしまいかねないのですが、これはたまたまそうなったという話ではないので、次に「ケースワークの原則~バイステックの7原則」についてお話します。
 バイステックはアメリカの社会福祉の臨床家で、1957年に書いた「ケースワークの原則」という本で7つの原則を定式化しました。
 これは現在でもケースワークという社会福祉の相談援助活動の最も基本的な考え方となってますが、今お話した私の体験はこの原則で非常によく説明がつくからなのです。

いわき市の講演会⑲:ジャズダンスから公務員へ

 ナント、次女は「公務員試験を受ける」と言いだしてスタジオを辞め、有朋高校3年生の秋から「東京アカデミー」という公務員試験の予備校に通いだし、アカデミーを乗り換えるわけです。
 それまで勉強らしい勉強はしていませんので、受かることは全然期待していなかったのですが、「火事場の馬鹿力」なのか、彼女なりに必死に勉強したようで翌年の平成14年秋の国家公務員試験と道職員試験に無事合格し、次女は道庁に選んで現在は旭川にあります川総合振興局に勤務しています。こちらも5年前にさっさと結婚してしまい、子どもが二人生まれて共働きをしています。
 そんなわけで孫5人のジイサンですが、本当に「孫という名の宝物♪」でして、孫は無責任にかわいいものですからもうベトベトで、そのたびに特に長女からは「じいちゃんは甘い!私のときとは随分違うね」と厳しく指摘されますが、車に無理に押し込んで学校に連れて行くようなことをした親ですから、ジイサンになったら態度があまりに変わってしまい、あきれているようです。

いわき市の講演会⑱:中学は学校に行かずジャズダンスに

 結局次女は、中学校には2か月通っただけで、その後は全く学校に行かないまま卒業しましたので、次女の場合はいわゆる義務教育9年間のうち、後半の6年間はほとんど学校に行かないで大きくなったわけですが、私は次女が不登校をしてくれたおかげで、「いじめ」の中に彼女を晒さないですんだことを、本当に良かったと思っています。
 次女も不登校になった始めのころは、ご多分にもれずまずは腹一杯ゲームに没頭してましたが、そのうちに、だんだん気持が外に向いていったようで、全くひょんなことからジャズダンスを習い始め、そのうちだんだんダンスにはまってしまい、発表会だイベントだと、あっちこっち飛び回るようになります。
 時間の関係上あとは端折りますが、勉強は全くしていませんから通常の高校受験で入れる高校はなくて、結局有朋高校に進み、相変わらずダンス中心の生活が続きます。
 そのうち次女が参加していた函館ダンスアカデミーが全国大会で優勝したり、そのご褒美でニューヨークのカーネギーホールで踊ったりしましたので、私は親の欲目からプロでやれるんではないかと思いはじめました。
 実際、このダンスアカデミーから劇団四季に入ったお子さんもいますので、四季や宝塚は無理でもプロの道に進んでほしいと思って、娘に随分粉をかけました。

いわき市の講演会⑰:「行けない」不登校から「行かない」不登校へ

 学校もこの「いじめ」に気がつき、解決するから学校に戻ってほしいと言ってきたのですが、次女は「もう学校はいい」という感じで、いわば自分から学校に見切りをつける形で、2か月で行かなくなりました。
 私は不登校の相談に長年携わってきましたが、いじめが原因かどうかに関わらず、お子さんが「学校に行けない」という気持で不登校するのと、「学校に行かない」と自分で決めて不登校するのとでは、その後のお子さんの元気さが随分と違います。
 これは当たり前の話で、「行けない」という場合は「行けないダメな自分」を責めることになり元気は湧いてきませんし、まして親や周りから行かないことを責められますと増々落ち込んで行って、病気のような状態に追い込まれます。
 「行かない」というのは、ともかくも自分の意思がそこに入りますので、周りがそのことを否定せず、本人の気持ちを尊重し、サポートしますとエネルギーも湧いてきて、次のステップにつながっていく可能性が大きくなります。
 「行けない」不登校から「行かない」不登校へ、お子さんが気持ちを切り替えていけるかどうかが大きなポイントになりますので、その変化をサポートしていく支援がとても大切です。

いわき市の講演会⑯:グループ行動になじめずいじめに遭って…

 次女もやはり姉と同じように、みんなと同一歩調を求められる女子のグループになじめなかったようですが、次女はどちらかというと自分の思ったことをはっきり口に出す方で、先生の質問に大きな声で「ハイ」と手を挙げたり、音楽の時間に「大きな声で歌いましょう」と言われたので大きな声を出したら自分だけが目立ってしまったというようなことが度々あったそうです。
 あるとき先生から「お宅のお子さんは帰国子女のようですね」と言われたことがあり、ナルホドと思いました。「帰国子女」、つまり外国生活、特に欧米の生活が長い場合、学校の雰囲気がすいぶん違っていて、日本に戻ってから学校生活になかなか馴染めず、いじめのターゲットにされるという話をよく聞きますので、次女も周囲からは変わった子に見られて、やはり格好の「いじめ」のターゲットにされました。
 学校もこの「いじめ」に気がつき、解決するから学校に戻ってほしいと言ってきたのですが、次女は「もう学校はいい」という感じで、いわば自分から学校に見切りをつける形で、2か月で行かなくなりました。

3月の不登校関連行事のお知らせ

3月の函館地域での不登校関連行事は以下のとおりです。

【登校拒否と教育を考える函館アカシヤ会 例会】
 3月15日(日)午後1時30分~4時、函館市総合福祉センターあいよる4階会議室(若松町33-6)。不登校の子どもを持つ家族や過去に経験のある家族、教師、支援者らが集まり、悩みや子どもとの関わり方などについて話し合う。資料代200円。(連絡先:野村?090-6261-6984)
【登校拒否と教育を考える函館アカシヤ会 ランチ例会】
 3月19日(木)12時~14時、函館圏スリースクールすまいる(大手町9-13)。不登校の子どもを持つ家族やフリースクールの利用者・スタッフが昼食を共にしながら語り合い、交流する。参加費は無料、昼食は各自持参。(連絡先:野村?090-6261-6984)
【「昴の会」~不登校をともに考える会 例会】
 3月22日(日)午後2時~4時、北斗市七重浜住民センターれいんぼ~。不登校やひきこもりの子どもを持つ家族や過去に経験のある家族、教師、支援者らが集まり、悩みや子どもとの関わり方などについて話し合う。資料代300円。(連絡先:川崎?090-9438-0825)

いわき市の講演会⑮:意を決して中学校に行ってみたが…

  函館は今日(3月8日)も暖かな晴天で、街中の雪もほとんど消えました。今日の「樹陽のたより」(ひきこもり体験者の集い)には10名、道南ひきこもり家族交流会「あさがお」例会には22名も参加、減る気配が全くありませんので、このテーマは一層重要になると実感しています。
  初めて参加された教育関係者が「不登校は学校システムの制度疲労が背景にあるように、ひきこもりの問題は社会全体が制度疲労を起こしているのではないか」と発言されていましたが、本質を突いていると思います。
【講演会の続き:次女の不登校体験より】
  結局、教科書はそのまま段ボールに入ったままで、全くもったいない話ですが、日の目を見ることはありませんで、古紙回収に出されたのだと思います。結局は学校に戻らないまま小学校を終えますが、中学に進級する段になって学校に行くと言いだします。
 これも最初の本を書くときに初めて次女から聞いたことですが、次女が言うには「お父さんは私が家で気楽に不登校していたように見えたかもしれないけど、小学生のときも小学生なりに『このまま大きくなって、ちゃんと進学や就職ができるだろうか』とか、心の中は不安や心配でいっぱいだった」とのことです。
 そこでともかく、中学進級をきっかけに彼女なりに意を決して学校に行くわけですが、やはり雰囲気になじめず、今度はいじめもあって間もなく行かなくなります。

いわき市の講演会⑭:勉強もすっかり忘れて不登校することに

このことは学校にもきちんとお話して、「今、この子は安心して休息することが必要なので、先生や友だちのお迎えなどは控えてほしい。子どもの様子は、私どもの方からきちんと報告しますので」とお願いをし、学校も理解してくれて一切登校するようにという働き掛けはしませんでした。
 すると、次女の身体症状は1~2カ月くらいでらいですっかり消えてしまい、朝から家の中でゲームをしたりテレビを見たりして過ごして、放課後になると友だち一緒に遊んだり、友だちが家に来て一緒に遊んだりするようになって、そのうち、昼間も一人で外出できるようなりました。
 もちろん家では勉強は全くしませんので、5年生になって4月に学校から届けられる教科書の類には全く手をつけません。
 そもそも不登校の子どもが家では一生懸命勉強しているという話はついぞ聞いたことはないのですが、当時の私はまだ未熟者で「学校に行かなくても教科書くらい開いてほしい」という未練がありました。
その頃の教科書は絵本のようにとても綺麗になっていましたので、何とか娘の興味を引こうと思って、「いやあ、これは面白いねえ」などと言って教科書を手にとって娘に見せるのですが、全然反応してくれません。

いわき市の講演会⑬:今度は次女が不登校に…

 長女が成人を迎え社会人として何とかとやっていけそうなメドがついてやれやれと思っていたころ、今年30歳になりました次女が、小学4年生の1学期が始まって間もなく不登校になります。
 それまでは友だちもいて先生にも可愛がられて元気に暮らしていてましたので、原因はさっぱり思いあたりませんでしたが、ともかく学校に行くのが辛くなったのは間違いないわけで、朝になると姉のときと同じように「あそこが痛い、ここが痛い」と言うので、休ませるとやはり昼頃までには症状が消えて家では普通に生活することができます。
 しかし、長女のときと決定的に違ったのが親の対応で、長女に対し間違ったことをしたという反省や、不登校についていろいろ学習していたこともあり、次女に対しては、無理に学校に行かせようとはしませんでした。
 このことは学校にもきちんとお話して、「今、この子は安心して休息することが必要なので、先生や友だちのお迎えなどは控えてほしい。子どもの様子は、私どもの方からきちんと報告しますので」とお願いをし、学校も理解してくれて一切登校するようにという働き掛けはしませんでした。

いわき市の講演会⑫:高校進学へのこだわりを捨てて

「いじめ」問題については後ほど触れるますので話を戻しますが、事ここに及んで妻が「これは変だ。自分たちのやり方が間違っていたのではないか」と気がつき、不登校についていろいろ勉強をして、無理に学校に戻そうとしたことで長女をおかしくしてしまったことを知って方針を変えます。
 ところが、私はなかなか気持ちの切り替えができませんでした。これは、一般的によくあるパターンで、父親は「そんなことで世の中は通用しない」「もっと強くならなければダメだ」といった意識からなかなか抜けられないのですが、妻からずいぶん説教され、長女のいよいよ辛そうな状態を目の前にして、いろいろ考えてみましたら、長女を必死になって学校に行かそうとしたのは、「長女のため」と思っていたものが、実は「高校に行けないと困る」という親の気持ちであることに気がついていったわけです。
 そこから「でも、まてよ?本当に高校に行かなければ、この子の人生は無いのだろうか?」という気持ちに、だんだん変わっていって、このときの解放感は、今でもはっきり覚えています。本当に気持ちがすっと楽になっていきました。
 自分の気持ちが楽になると、自然に子どもとやさしく接することができるようになるもので、そこから長女とのコミュニケーションも回復し、長女はだんだん元気になっていき、北海道立の通信制高校「有朋高校」に進み、そのうち、アルバイト先で知り合った青年とさっさと結婚してしまい、今は札幌で暮らしています。一番上が今年大学に入学した女の子と、中3と小6の男の子の3人の子育てで肝っ玉母さんをやっております。

いわき市の講演会⑪:いじめを相談できないのはなぜか?

  私はこの話を聞いたときに心底驚いて、娘に「なぜ親に話してくれなかったのか」と尋ねましたら、彼女は「親に心配をかけたくない」という気持や「親が怒って学校に話を持ち込んだら、仕返しされるのが怖かった」ということはもちろんあるけれど、「口に出してしまうと、自分がいじめられていることを自分で認めてしまうことになり、その惨めさに耐えられなかった」という話でした。
 つまり、成人になり、彼女なりに自分の生活の方向性が見えてきて、生きて行くことに自信を持てるようになるまで、口に出すことができなかったわけで、これはわが家に限らず、とてもよくうかがう話で、子どもが「いじめ」について本当のことを語ること自体が、とても大変なことなのだということを、周囲の大人はしっかり理解しなければならないと思うわけです。
 今回持参しました「カナリアたちの警鐘」はこの5月に発行したものですが、2005年に「わが子が不登校で教えてくれたこと」という本を出版したときに、家族の話でも個人情報ですし、公開するには本人たちの承諾が必要ですから、原稿を妻と娘たちに見てもらってチェックと修正を重ねたのですが、そのとき初めて長女は「何度も自殺することを考えた」と打ち明けてくれました。
 ですから、私は長女のことを結構分かったつもりになっていたのですが、死にたいと思うくらい辛かった状態を知ったのは、誠にお恥ずかしい話ですが、長女が不登校になって15年以上も経ってからということになりますので、意外と親は子どもの本当の姿を知らないことが多いことを肝に銘じております。
 私は、「いじめ」というたいへんな状態の中に子どもを必死に送り出し、娘は自殺も考えたというわけですから、最近のいじめ自殺の報道を目にするたびに、わが家も一歩間違うとそんな状況になったかもしれないと思い、胸が苦しくなる次第です。

いわき市の講演会⑩:いじめを知ったのはずっと後…

 そうしますと、当然のことながらこれではどこの高校も入れないと心配になります。そこで、もう1年残って登校するようがんばり、その次の受験に備えようという、今から考えれば全く馬鹿げた判断をしてしまいます。
 これで長女を決定的に追いつめてしまい、学校へ行くどころの話ではありません。家からも出られなくなり、部屋の中は荒れ放題で、昼夜逆転して生活のリズムはメチャメチャになってしまいまして、当時は「ひきこもり」という言葉はまだありませんでしたが、今から考えればまさにひきこもり状態です。
 実は、長女の不登校のきっかけは、ひどい「いじめ」があったことがずっと後で分かりますが、そのことを私が長女から直に聞くことができたのは、彼女が成人になってからでした。
 長女の話では、小学生のころから女子のグループに入るのが苦手で、休み時間いつも一緒、トイレに行くのも連れ立ってといった雰囲気に馴染めないし、皆が盛り上がる、例えば芸能界の話題なんかにも「なんでそんなことが面白いんだろう」みたいな気持ちでついていけずどのグループにも入ることができず、中学になると、そうして孤立していたところを男子のいじめグループに執拗に狙われて、暴力を振るわれたりデマを流され、学校に行けなくなったそうです。
 

いわき市の講演会⑨:長女が不登校に!必死に登校させようとするが…

 そこで不登校とはどんな状態なのか、わが家の体験を簡単にお話させていただきますが、今考えても長女には本当に申し訳ないことをしたと思います。
 長女は今年(2014年)40歳になりましたが、中学2年生のとき、朝、学校に行く段になると、頭が痛い、お腹が痛い、吐き気がするなど、様々な症状を訴えて、トイレに駆け込んだり、玄関先にうずくまってしまいます。
 今から25年も前にのことですから、私も全く知識がなく、はじめは風邪くらいに考えて、とりあえず学校を休ませますが、お昼頃になるとそんな症状も消えて、家の中では普通に起きていて、一日中寝ているわけではないので、学校へ連れて行けば何とかなるだろうと思い、必死になって学校に行かせようとしました。
 そのうち、そんなことが毎日続くようになり、親はさらに心配になって、何か隠れた病気があるのではないかということで、病院を連れ回すのですが、どこも異常はありませんので、今度は怠けではないか、ずる休みではないかと疑い出します。
 こういう経過とやり方はたいがいどの親もやってしまい、ここから泥沼にはまっていきます。先生に家庭訪問してもらう、毎朝友だちに迎えにきてもらう、車に押し込んで学校まで連れて行くなど、やってはならないことばかりやってしまいましたが、そうやって学校に行かせようとすればするほど、長女の体調は悪くなってしまい、3年生に入るとほとんど行くことができなくなりました。

いわき市の講演会⑧:フリースクール支援の動きを注視

 ともかく、何十万人という日本の小中学生、高校生が、今の学校というものに背を向けてはじめ、しかもいそれが長期間続 き、一向に減る気配を見せていないという現実を、私たちはまずしっかり受けとめることがまず必要だと思います。
 ということは、学校現場では先生方も大変な努力をされているでしょうが、トータルとして見た場合、文部科学省が膨大な予算とエネルギーを費やして進めてきた「不登校対策」が、果たして妥当なものだったのかどうか考えるが必要あると思います
ただ、少し変化があるかもしれません。11月24日に、初めて文部科学省が全国のフリースクールなどに参加を呼びかけ「フリースクールフォーラム」を開催、600名もの参加者があり、下村文科大臣が開会挨拶でフリースクール支援の必要性をお話したそうです。昨日の28日も文部科学省が「全国不登校フォーラム」を開催し、私も参加してきました。300名ほどの参加者で満席で、こちらでも下村文科大臣は開会挨拶で「現在の学校教育では不登校に十分対応できていないので学校制度の改革も必要」という主旨の話をされていました。過大な期待はしていませんが、不登校の子ども・家族の苦しみが少しでも小さくなるような改革を願っています。
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