集中連載「わが子が不登校で教えてくらたこと」教育改革編⑧

 「集中連載」と言いながら、しばらく中断して申し訳ありません。続編を再開します。
【不登校は「教育とは何か」の根幹を問う】
 ただし、教育はサービスではなく「国家が国民の与える恩恵」であり「国民を教化・統合する仕組み」であると考えれば、不登校の子どもは、国が決めた大切な教育の場に参加しない「不届き者」であり、参加しないことで勝手に「恩恵を放棄している」ことになるでしょう。
 しかし、憲法第26条で規定するように国民は「教育を受ける権利」があります。「受ける権利」ではまだ受け身の感じがして、私は「学ぶ権利」と呼びたいのですが、この中には、より主体的に学びの場や方法を自分で選び、創り出す権利も含まれていると考えます。
 このように、「不登校をどう捉えるか」は、「教育とは何か」の根源に迫る問いを孕んだ問題  であることを認識すべきではないかと思います。
【不登校児は「学校のカナリヤ」では?】
 不登校が増えるのは、子どもにとって学校がとても息苦しいものになっていることも背景にあるのではないでしょうか。今の学校はあまりにも多くのことを抱え込み(抱え込まされ)、管理強化が進んでいるように感じます。 
 親も社会も、子どもの成長についてあまりに学校に多くを求めすぎているのではないでしょうか。学校運営に「ケアマネジメント」の考え方を活かすよう提案したのは、このような現状を改善するという意味もあります。
 私は、不登校の子どもは「学校のカナリヤ」ではないかと思います。その昔、炭坑では僅かの有毒ガスで死んでしまうカナリヤを坑道に放して、カナリヤ死んだら坑夫はが引き上げたそうですから、13万人もの~実際上はその何倍もの~学校の息苦しさに音を上げる「カナリヤ状態」の子どもがいるとことを、学校をめぐる課題のひとつとして真剣に考えるべきではないでしょうか。
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