登校拒否と教育を考える函館アカシヤ会新年ご挨拶

【登校拒否と教育を考える函館アカシヤ会】会報2018年1月号より
 あけましておめでとうございます。昨年は130名もの方に会員登録いただきました!会員の皆さま、関係者の皆さまのご支援、ご協力に心から感謝申し上げます!(^^)!
  11月19日の例会は12名の参加で、小中学生と高校生年代以上の2グループで話し合いました。12月17日の例会は11名が参加、グループ分けはしないで全体で情報を共有しました。嬉しいことにお父さんが2名参加しました。
  親御さんは、どなたも始めのうちはお子さんを学校に戻そうとして無理を重ねたことに気がつき、それを止めたら親子関係が回復・安定してきたとお話しています。この「気持ちの切り替え」が以前より速くなった感じがします。当会などの「親の会」がその一助になっていれば嬉しいことです。
  また、函館圏フリースクールすまいる親サロンにもどうぞご参加を!(^^)!  毎回7~8名ほど参加し盛り上がっています! 新年は1月11日スタートです。
 

学校は子どもが自分のために利用するところ

  私は、「利用機関としの学校」という意識が広まれば、義務教育への誤解も減るように思います。
  当地の会員さんのお子さんで、学校という場での生徒や先生との接触が苦手という子がいます。本人は野球が大好きで(もちろん日ハムの大フアン!(^^)!)、冬の間は野外でお父さんとキャッチボールができないため、学校と交渉し、部活が終わって生徒がいなくなった後の体育館を使うことを許可してもらい、この季節つはお父さんとキャッチボールをして楽しんでいます。
  この場面に担任が顔を出しても拒否はせず、普通に挨拶して会話もしているそうです。 みんながみんな同じように朝から晩までクラスの中で同じことをやらせるという仕組み自体に無理があるのかもしれませんね。

「不登校観」の転換が必要では

  YAHOOニュースで、ホームスクーリングを実践している家族の記事が紹介されています。「「学校に行くのは週1回 不登校を選択した前向きな親子の挑戦」で検索すると見ることができます。
 学校を「選択的に利用」しているのはとても新鮮に感じました。考えてみれば、学校は子どもの成長のために利用するところであり、学校のために子どもがいる訳ではありません。
  不登校は、どうしても「学校に行けない可哀想な、困った子どもと家庭」の問題として「対策」が講じられてきましたが、これからは、「教育を学校だけにたよらない子どもと家庭の様々な取り組み」ととらえて、これをサポートするという視点の転換が必要であり、
そのためにも「教育機会確保法」や昨年の文科初770号通知をそのための大きな手掛かりにしていくことが大事だと再認識しています。

職業教育にもっと目を向けたい:古山明男さんとの意見交換⑤

  ④でご紹介した古山さんのご意見に、私も全く同感です。ゲームを目の敵にする親や「教育者」が多いですが、これでは子どもの心はつかめないと思います。
  先日、函館市内のある私立高校の校内研修会にお招きいただきました。中学時代に不登校だったり学業不振だったりという生徒さんもかなり入学します。
  校長先生のお話では、生徒が服飾の実習で作品を作って元気になったり、介護実習でお年寄りに感謝されて元気になることが多いそうです。これも、自分のやったことが目に見える成果として実感できるからだとお話されていましたが、確かにそのとおりだと思いました。
  日本の高校システムでは、職業科が普通科より一段低く見られがちですが、  発想を転換し、職業科をもっと日の当るものにすることも大事だと感じました。

不登校の子どもに必要なこと:丸山明男さんとの意見交換④

【丸山明男さんから、次のような貴重なご意見をいただきました】
 不登校の子どもたちに接していて、人間の精神にどうしても必要なものが二つあると思いました。
 一つは、あるがままを認めてくれる人がいることです。怖い、やるせない、消えてなくなりたい、そのような心の動きを、批評せずに「そうかい」と受け止めてくれる人です。一人でもいいからこういう人がいると、内面までは折れずに生きのびることができます。
このことはそれなりに知られています。
  ところが、それだけでは足りない。もう一つあります。自分が何かやろうと思った、やってみた。うまくいった。また工夫する。そのサイクルです。これがどうしても必要です。
 人間は、なにかじっとしていられないところがあって、まったくの無為にも無力感にも耐えられません。そして、なにかが「うまくなる」ことに熱中するものです。活動欲と習熟欲と言ったらよいかと思います。たぶん、人間が食料を手に入れ、生活を維持することが喜びを持ってできるように組み込まれている本能です。個の生存のために食欲があり、種の保存のために性欲があるように、生活をするために活動欲と習熟欲があるのだと思います。
  これで大事なことは、手を動かすことと、結果がすぐに目に見えることです。例えば草取りです。手を動かして、抜く草の一本一本に違う手ごたえがあり、自分が草を抜いたところはきれいになっていく結果が一目でわかります。草取りを
積極的に利用している心理療法もあるくらいです。 
  この本能に訴えているのが、コンピュータゲームです。よくできています。達成感の濃縮ドリンクのようなものです。マリオがぴょんぴょん跳ねていったい何が面白いのか。意図があり、手を動かし、結果がすぐにわかり、工夫し習熟する喜びがあるからです。
学校教育が愚かなことをしています。「やらねばならないことをやらせる」ことが多すぎて、子どもの活動欲と習熟欲に調和していないのです。学校に行っているためにかえって活動欲と習熟欲が損なわれてしまう子どもたちがたくさんいます。「評定を上げる」や「将来の心配」で動機づけるのは、子どもを不毛の荒野に追いやります。子どもはもっと直接的な何かで生きています。
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